愛媛県無茶々園(むちゃちゃえん)の温州みかん

愛媛県無茶々園(むちゃちゃえん)の温州みかん

愛媛県無茶々園(むちゃちゃえん)の温州みかんをご紹介します。

四国は愛媛県の南部に位置し、西側は豊後水道の一部、宇和海に面する明浜町。
リアス式海岸が生み出す豊かな海産資源のおかげで昔から水産業がさかんに行われてきたと同時に、海岸に迫るようにそそり立つ山の急斜面では、陽光が欠かせない柑橘類も多く栽培されてきました。

できることは数知れず、大きな可能性を秘める土地。
しかし、人が日常生活を営むことを容易に許さない。

そんな人に厳しい地域は、世代を超え、人々の努力で、大きな成長を遂げ、現在の明浜町を形作ります。

愛媛県 西予市明浜町

愛媛県 西予市明浜町

町の南側に広がる宇和海と、海岸から急に立ち上がる山々。人々は入江付近の限られた平地に町を作り暮らす。それが明浜町の姿です。山の斜面は南向きで日光がよく当たり、さらに、海面で反射された光も降り注ぐ。柑橘類からすれば、この上なく心地よい環境ではありますが、人からすれば作業性が悪い畑は、創意工夫と努力なしには御せない相手ともいえます。

山から海へ、よい環境を連鎖していく。

町を変えた15アールの畑

海と向かい合う急斜面を使い、柑橘類の栽培が盛んに行われてきた明浜町。今では世代も替わり、子どもや孫世代が畑を継承。柑橘栽培は地域を代表する産業としてすっかり定着しています。地域一体で行われる農薬や化学肥料に極力頼らない農業から生まれる、温州みかんをはじめとするさまざまな柑橘類は、「安心でおいしい」と多くの方から高い評価を獲得しています。

しかし、かつての評判は今とは随分違うものだったようです。1960年代は、化学肥料・農薬は必要不可欠と言われ、誰もがそのやり方を疑うことすらなかった時代。そんな状況に農薬や化学肥料に頼らない栽培で一石を投じたのが、無茶々園を立ち上げた3人の農家後継者でした。「無茶だ」「できるわけない」と批判を浴びながらも、地域の寺から借り受けた15アールのいよかん畑で始めた農薬と化学肥料に頼らない柑橘栽培。「無農薬・無化学肥料栽培なんて、無茶かもしれない。でも無欲になって無茶苦茶がんばってみよう」そんな、かつての若者の理想から、無茶々園は始まったのです。

見た目よりも、中身です!

人はとかく、見た目に惑わされがち。もし、選べるなら、少しでも大きくて形がよく傷もない方を選ぶのでは?でも、無茶々園の柑橘類を見るときは、ぜひ、いつもの“色眼鏡”を外して、中身重視で選んでいただきたいのです。

農薬に極力頼らない栽培は、害虫や病気との駆け引きの連続。雨風の脅威も無視できません。一瞬の対応の遅れで実に傷やかさぶたができたり、食べるのには支障ないけれど、病気の跡が残ったりすることも。これは、農薬や化学肥料に頼れば阻止できることもあります。しかし、味に影響のない傷や病気の跡を残さないために、不要なものを使うのは本末転倒。傷は、そのみかんががんばって育った勲章なのです。

「木によっても、なっていた位置によっても、味も形も違うのが柑橘です。ひとつひとつの違いを感じながら、食べてもらえるといいですね」と生産者の宇都宮俊文さん。

無茶々園のみかん、そろそろ食べごろを迎えます。今年は比べて味わう楽しみも、ぜひご堪能ください。

 

町を変えた15アールの畑

〜まとめ〜無茶々園のみかんがおいしい2つの理由

?急勾配の畑、海と風

陽光をまんべんなく受け止められる急勾配の畑、宇和海からのミネラル豊富な海風。この環境がおいしいみかんの源です。

急勾配の畑、海と風

?自然の力を信じる

“人にも自然にも無理のない栽培”が信条。多少の傷や形のいびつさは、自然の中で柑橘ががんばって育った勲章でもあります。

自然の力を信じる

〜おまけのお話〜無茶々園、もうひとつの名の由来

「ムチャチャ」はスペイン語でお嬢さん。「ネオン街の蝶(お嬢さん)を追いかけるより、みかん畑でアゲハ蝶を追いかけよう」と。誘惑に流されず、理想の農業を目指した、設立メンバーの強い思いが伝わる。

無茶々園、もうひとつの名の由来

みかんは届いたら、まずチェックを!〜無茶々園スタッフ高瀬さんからのお願い〜

出荷時は無傷でも、輸送中に傷みが出る場合も。みかんの腐れは伝染するので、駄目なものを取り除くことで、他を長持ちさせることにつながります。

みかんは届いたら、まずチェックを